一般演題I  病院図書館

01. JHLAのチャレンジ ―病院図書室担当者のスキルアップのために

大沼 由紀子(日本病院ライブラリー協会)
http://mis.umin.jp/26/program/oral-01.pdf

今回は病院ライブラリー協会の人が、3人ほど演題を発表されていた。

この協会の活動をあまり知らなかったので、今回知ることができたのはよかった。病院図書室の人たちは、多くの人がひとり職場ということからか、アクティブで自立している人が多いと感じる。大学図書館の人間である自分がデクノボーみたいに思えてしまうことがよくある。

私はこの協会に所属することはないけれど、ひとり職場の人たちの集まりで、ほとんどみんな女性で、300人もの会員がいる全国組織を運営していくのは大変なことに違いない。会員は多いほど組織の力も強くなるから、今回の発表も、協会の中で決めた活動の一環なのではと思われた。発表したのは若い人で、発表することは勉強にもなるからいいけれど、何か自主的に発表しているというよりは「割り当てられている」という感じがして、「結構病院ライブラリー協会って先輩からこういう発表が課されたりするのかなぁ。そうだとしたら大変そう…」という若干マイナスの印象を抱いてしまった。もし会員を増やすことが目的としてあるのだとすれば、効果があったのかどうか。

02.病院の図書館員が認識され、理解され、必要とされるには ー木に登って森を見ると・・・・

山崎 むつみ(静岡県立静岡がんセンター 医学図書館)
http://mis.umin.jp/26/program/oral-02.pdf

山崎さんは穏やかで落ち着いた声の方だが、熱意と話しぶりに思わず引き込まれた。

民間を経験した人の視点で、病院の中で図書館司書がプロとして認められていくためにどうしたらよいのか、さまざまな考えを巡らせておられることがわかった。

病院での決めごとが「診療報酬・保険点数」を中心に動いていくということ。

がん情報サービス
http://ganjoho.ncc.go.jp/public/index.html

このサイトではがんに対する詳しい情報が掲載されているけれども、この病気の情報を提供するという場面において、図書館員が協力していた様子はないということ。

03. 患者のニーズを反映した情報整備のためのPilot調査 ―乳癌患者会ウェブサイトの分析

及川 はるみ(聖路加国際病院 教育・研究センター 医学図書館)
http://mis.umin.jp/26/program/oral-03.pdf

とても刺激を受けた。日常仕事をする中で感じた疑問「患者にどのように情報を提供していくべきなのか?」ということを調査しようと思い立ち、手法を考えて調べてみました、というのは、図書館員にとっての理想的な研究の始め方ではないだろうか。

04. JHLA 患者医療図書サービス支援事業報告

関和美(日本病院ライブラリー協会)
http://mis.umin.jp/26/program/oral-04.pdf

第26回医学情報サービス研究大会

http://mis.umin.jp/26/program/index.html
今年の医学情報サービス研究大会は、平成21年7月4日(土)〜5日(日)の日程だったが、1日目だけ参加した。場所は東京。北里大学の白金キャンパス。

大学の最寄駅だけ覚えて新幹線に乗った。地下鉄の広尾駅から歩いて行く道は、大使館があったりおしゃれなお店が並んでいたりしてとても雰囲気のいい道で、つい20分ほど目的地に着かないことを気にせずに歩いて、気づけばまったく違う場所にいた。

すぐタクシーに乗ったが、タクシーの運転手さんも北里大学の場所を知らず…ふたりでカーナビを見て推測したり、私の携帯電話でリサーチしたりしているうちにすっかり遅れて、1つ目の継続教育コースのプログラムは半分以上終わっていた。

しばらく脱力していたが、せっかく来たんだからと、次の一般演題からはまじめに聞くことにした。

PubMed講習会

先週は授業がいくつもあったが、その中にPubMed講習会があった。

PubMedは、米国の医学図書館が作成している、医学・薬学・看護学・獣医学などを含むライフサイエンス分野のデータベース。米国の政策によりインターネット上に無料で公開されており、コンテンツの充実は言うに及ばず、検索しやすさ、データの新しさ、新しい機能を次々展開するなど、素晴らしいもので、医療従事者には欠かせないデータベースといえよう。

PubMed
http://pubmed.gov

これらの検索方法を説明する講習会という場こそ、図書館職員の専門性の見せどころ…なのであるが正直、こちらには医学知識が欠如しているのだから、とても緊張する。専門図書館の図書館員は、その専門分野の主題に関する知識を持つことが望ましいが、私はちゃんと勉強している図書館員だとはいえない。でも、わかっている範囲で精いっぱいやるしかない。このデータベース特有のシソーラスについて勉強し、検索機能についていえば、その辺のお医者さんよりはきっと詳しい。そう、こういう日のために、先月は本場米国の医学図書館協会の総会まで行ってきたのではないか。

事前に申し込みをしてきた人に、何を知りたいのか、どんな検索をしているのかアンケートを取ったところ、多くの人は、自分の思いついたキーワードを検索ボックスに入れるという、Google的な検索方法をしているということがわかった。

平日の夕方、図書館に集まった参加者は30人。医師がほとんど。医師不足は現実であって忙しいはずだが、常に最新情報を追っていかなければならない仕事で、そのためにPubMedをみんな使おうとしていて、でも検索方法がわからないと思っている人が多いということか…。
医師は一生、自分の中の医学知識をアップデートする必要があり、そうしてもらわないと命にかかわる。ということは、私の伝える情報によって、誰かの運命を左右することになるかもしれないということである。責任重大!

・検索結果が多すぎたときは?また、少なすぎるときは?
・思ったような内容が検索結果に出ていないときは?
・不要な情報を検索結果から除くには?
・電子ジャーナルですみやかに本文を見るには?
・MeSHを使って検索したいが?

というような具体的な疑問に応えるやり方で講習を進めたが、とてもわかりやすかったと、講習を聞いていた図書館側の人たちには好評だった。アンケートによる評価もまずまずで、ひとまずほっとした。

しかし何といっても、当日まだ講習会の内容ができておらず、ぎりぎりまで内容や検索例を考えているのは相変わらず。ここを何とかしなければ、いつか大きな失敗をやらかす日がくるに違いない…。
そして、主題知識の少なさから来る不安については、実際勉強するしかない。せねば。しましょう。

看護学科1年生の授業と劇

先週は、授業がたくさんあった。その中のひとつ、今年は看護学科1年生の図書館利用法の授業の中に、図書館職員による劇(寸劇?演劇?)を取り入れてみたが、大変好評だった。

看護学生に図書館を利用してもらう導入として、去年まで「ナースの図書館活用術」というビデオを見せていた。
内容はこんな感じ。ナースの卵である「野村さん」が、看護実習時になかなか子供が泣きやまなくて困っているというのが初めのシーン。ベテランナースはいとも簡単に泣きやませていると聞いて、どうしてだろう?と疑問を持って直接聞きにいくと、答えを教えてくれず「図書館で調べてみたら?」と図書館に導かれていく。図書館職員に図書館の使い方を教えてもらいながら、資料から情報を探し出して、疑問を見事解決するという物語である。

看護学生がとても身近に感じるであろう状況と、図書館とをうまくつなげていて良いビデオだったのだが、1994年の発行で、図書館職員が「じゃあ、分類カードで調べてみましょう」などというので、時代に合わなくなってしまった。

もういい加減これはまずかろう、いや、カード目録だなんて、本当はもっともっとずいぶん前からまずかったのだが、ビデオの後で「現在はカード目録はありませんが…」などと補足してすませていたのである。

そこで、ビデオを元にシナリオを作り、看護学生が子供を泣きやませたいという疑問を持って図書館に来るというストーリーで演じてみた。内容はわが大学図書館に即したものにして、パワーポイントを併用して写真を投影したり、OPACの画面を投影したりした。
ナース服などの衣装も先生方にお願いして調達した。笑いを取る必要もあろうと、看護実習生の役は意表を突く50代の男性にお願いして、服装は男性用だが「そうよね」とか女言葉を話してもらい、性別不詳の雰囲気を出した。演技指導は、図書館職員の中に実は女優さんがいるので、その人が稽古をつけてくれた。

ほんの10分ほどの劇であるが、上演すると、ビデオでは半分寝ていた生徒たちがクスクス笑い、劇の間は全員覚醒していた。その後の説明も大体ちゃんと聞いて、実習につなげることができた。アンケートには「劇がよかったです」「これからもっと図書館を使いたいです」などと、たくさん書かれていた。また実習を見ていると、1年生のゴールは、ひとつはOPACが使えることであるが、それもちゃんと身につけていた。

予想外の反響の高さに嬉しいより驚いた。やはり、画面のことではなくてライブなのが良いようだ。自分たちでシナリオを作るので、内容もこの図書館に即したものにできる。劇のおかげで、学生は例年に比べてキャストの図書館職員に対して親近感を持ってくれたようで、職員と学生の間の壁がずいぶん低くなったように感じたのも素晴らしい。

別の効用は、図書館職員の方にも表れた。キャストの図書館職員が楽しんで、より良いものにしようとがんばってまとまったことがひとつ。それから、これまで何年もの間、図書館利用法の授業に全く興味を示したこともない他の図書館職員たちが、同僚が演じる劇を観たいと言い出したことである。

近年、図書館で利用方法のビデオを撮影してPodcastで流したり、ホームページで公開したりという高度なことをしている大学図書館が出てきているが、結局、紙で説明するにせよ、ホームページに置くにせよ、利用者に図書館の使い方をわかってもらいたいという目的は同じである。インターネットやWeb2.0などの時代の波を捕まえて、新しい技術を選択肢に入れていくのかどうか。また、人員削減の中で、どうやって少ない労力で最大限の効果を上げるかということを考えなければならない。

劇による図書館利用法説明は、手間ひまかかるし費用対効果は少なめにも思える。ビデオなら、ひとりでビデオをセットしてボタンを押すだけでOKだが、今回は5人の図書館員が台詞を覚え、リアクションを工夫し、全員で4,5回練習を重ねる必要があった。ただ、時代が後退しているように見えるかもしれないけれど、劇により、ライブ感が学生ひとりひとりをひきつけ、実際の図書館利用をしたいという思いにつながったという効果はこれまでに感じたことのないがっちりした手ごたえであり、計測できない良いところがあった。

いまさらながら、ARGカフェ in 京都 2009年2月の思い出。

このページを作って約1か月。「これからホームページをつくる研究者のために」という本を遅ればせながら読んでみる。

私は研究者ではないけれど、ホームページを作る人には誰にでも、とても役に立つ本だと思う。

もう4か月も前のことになるが、この本の著者である岡本真さんが主催する「ARGカフェ」という催しが今年の2月に京都で開かれたので、わくわくしながら参加した。その時に岡本さんが、今日の記録や感想を、各自のホームページやブログで紹介してください、と呼びかけられて、実際に多くの人が感想を後で書いていたのを読んだ。

ARGブログ 2009-02-26(Thu): 第3回ARGカフェ&ARGフェスト@京都−参加者の感想(1)
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090227/1235691131

私は第一部に参加できなかったので、どんな内容だったのかを知ることができて、とてもありがたかった。それだけでなく、ブログにARGカフェについて書いたことで、その時の参加者同士がリンクして、話せなかった人同士も、感じたことを共有できるのがすごくいいと思った。

その時は、私はブログを作ってないんだからリンクの中に入れなくても仕方ない、と思ったけど、もっと気楽にリンキングしていったらいいんだとわかったので、いまさらながらこそっと感想をこんなところに書いている。うふふ。

ところでARGカフェの日、私の心に刻まれたのは、「若い人から学ぶ」というキーワード。とにかくたくさんの人と話すことができたけど、複数の人から同じ言葉を聞いた。これって、当り前のことなのでしょうか。

私は近年、困ったなと思っていたのだ。年をとれば自動的に人間が完成していくわけでもないのに、正直自分より年上の人は次第に少なくなってくるわけで、経験を積んだ年上の先輩方から学ぶことが難しくなるじゃん、と思って。でも、若い人から学ぶことができるとわかれば、まったく問題なく解決。他の人はそんなの普通、と思ってたのかもしれないけど、私は胸のつかえが取れてすっとしたものだった。

病院のたらい回しにあう

膀胱炎になった。もう何度もかかっているので、3日ほど前から気づいていた。
たいしたことない症状だし、平日の昼間に仕事を抜け出すほどでもないと思って放っていたら、土曜日には痛くて外出できないほど症状が悪化した。こんな時に、医学図書館員は電話帳で病院を調べていた。いざという時にはパソコンを開ける気など起こらない。(でも、後でパソコンでも調べたけど、病院の情報は探しにくい。)とにかく私の家の近くには、土曜日に診察をしてくれそうな泌尿器科は2つしかないみたいだ、という情報を得ることができたので、住所を覚えて自転車ででかけた。アスファルトのちょっとした凹凸が体にこたえる。いたたたた…。

病院に着いて受付をしたら「泌尿器科の医師は木曜日の夜にしか来ませんが、外科にお回ししてよろしいですか?」と聞かれた。そんなことを聞かれても、私には判断しようがない。外科でいいんだろうか。だめなんだろうか。できれば移動したくなかったので、「お願いします」と言ったら、しばらくして看護師さんに呼ばれて「泌尿器科の医師は木曜日の夜で、今日はいないんですが」とまた言われた。他の病院に行った方がいいのなら、初めからそう言ってほしい。木曜日の夜に来ればいいのに、何で今日来たのですか、という問いにも聞こえたので、「他の病院に行った方がいいなら行きますが・・・。あまりに痛いので来ました」と答えた。

しばらくして受付に呼ばれて、別の病院を紹介してもらった。初めにリストアップしたうちの、2つ目の医院だった。次の医院ではきちんと診察してもらえて、お薬ももらって土日ゆっくりしていたらずいぶん良くなった。

ところで、次のようなことはわかりきっていることである。
・体のどこにも痛いところがないのは、何といっても、幸せなことである。
・体調が悪い時は、なかなか人にやさしくできないし、いつもできることもできなくなる。

でも、わかりきっていることがわかってなかったことを実感した週末。薬ひとつで治ると初めからわかっている病気でさえこんなだったのに、入院するような病気になったり、ガンになったりした時は、どんな痛みが襲ってくるんだろう?どんなに心細くなるんだろう?どうやって生きていけばいいんだろう??と想像した。

自分の抱えている病気について調べに来る一般の人たちに対して、もうちょっと親身になっていこう。とも思うし。
痛みがない時にはもっとがんばれるはずだ、とも思う。

アメリカ人とのコミュニケーション

英語がツールであることを忘れてはいけないと思う。表現したいことがなかったり、伝えたい、コミュニケーションしたいという思いがなければ、英語をどれだけ自由自在に操れるようになったとしても、それが何だろう?英語を研究しているわけでもない私が英語だけを極めることにはあまり意味がない。つまり、私は、表現すべきことの方を英語よりもっと勉強しなきゃいけないということを、忘れてはいけないということ。

英語が特別上手に話せないことで、必要以上に自己評価を低く見積もるのは、この間やめた。私は、母語でもない英語を使ってコミュニケーションを取ろうとしているんだから、アメリカの人と同じように話せるわけがないんである。多少うまくいかなかったことくらい、気にする必要がない。と、心臓に毛を生やした。

先日の渡航で消極的になるのと面倒くさがるのをやめようと決めていたけど、いつでもどんな時でもというわけにはいかなかった。よく聞く話ではあるけれど、日本人がまったくいない状況だと、無茶苦茶な英語でもがむしゃらに使ってみたりするけれど、他の日本人がいると、恥ずかしく思ったり、見栄を張ってしまったりして、英語を口にすることができなかったりするものである。今回、医学文献を読むCEコースに出ている時には、先生が初めに「発言しないのは唖と一緒です」というようなことをおっしゃったものだから、それはもう、20人の受講者は初心者的な質問をしたり、「うちの図書館ではこうなんですが」というような経験を語ったりと、賑やかにディスカッションが繰り広げられたわけである。まるで、話さないと存在がないのと同じだと言わんばかりにほとんど全員が発言していた。でも、日本人は、自己紹介以外は、3人合わせて1言くらいしか話さなかった。
正直、私に関して言えば、みんなが話していることは、半分以上聞き取れなかった。先生の話も半分くらいの理解だ。でも、何も発言できなかったかと言われれば、何かいうことはできたと思う。でも、ベテランの先輩2人に英語力のなさがばれるから黙っていたいとつい思ってしまったり、先輩が発言してからにしようかなと思ったり、いろいろ自分に言い訳をして、黙っていた。我ながら嫌だなと思ったので、その次のコースでは、積極的に発言してみた。普通のことができたと思って、参加している感じも増して、嬉しかった。

ハナウマ湾からの帰り、乗合バスで4人のアメリカ人と一緒になったけど、初めはほとんど話さなかった。というか、話せなかったのだ。初めは英語が速すぎて何言ってるのかわからなくて。でも、そうしていると、なんとなく「この人黙ってて変な人」と思われているような気がして、落ち着かなくなってきた。ずっと聞いていると、みんな観光客で、あのレストランが良かったとか、オアフ島よりやっぱりマウイ島の方がいいんじゃないかというような話をしているのがわかってきた。意味がわからないと深遠な会話をしているように思うけど、内容を理解してみるとたわいもないことをしゃべっていた。よくある話だ。そんな話なら私も入れる。それで、だんだんと話して、変人というレッテルをはがすよう努めたりした。

帰国すると、強迫観念から解放された。お店に入れば「Hi!」とあいさつし、初対面の人とは笑顔を作ってあいさつと握手。知らない人と乗り合わせれば他愛無い話を英語で。何人か寄れば、とにかく何か話してコミュニケーションする。というようなことをもうしなくていい、と思って。でも、英会話のアメリカ人の先生に「一言も話さなかったら変人と思われている気がした」と言ったら「そんなことないんじゃない?静かな人、って思うだけだよ」と言われて考えすぎだったのかなーと思った。