インフォーマルコミュニケーションの限界
研究会とか、勉強会とか、それに関わる飲み会などには、昔から積極的に参加するほうだ。
もともとのきっかけは、就職したての頃の職場が荒廃していた(今は違う)ので、助けを求めて出かけたようなものである。希望してない図書館に配属された脱力感もあったし。自分の仕事は全然楽しくなかったし、職場の人間関係はギスギスしていたし。
医学分野の研究会や勉強会に参加してみると、たくさんの素晴らしいライブラリアンにお会いして、医学図書館員ってすごくかっこいい!と興奮したものである。その後、劇的に変わったことはないけれど、日々の業務や上司との向き合いかたを少しずつ変えていったように思う。かっこいいライブラリアンの方々を見て、無意識のうちに、どうやったらあんな風になれるのかなぁ、と思っていた。それから、他の大学の勉強会にも顔を出したりするようにもなった。
それで、インフォーマルコミュニケーション。
会の後の飲み会でその人たちとお話ししたら、面白い話も聞けるし、進んだ事例も知ることができるし、楽しいし、いいことばっかりである。
でも、あちこちの会に顔を出してたくさんの人と顔見知りになっても、そのうち、自分が未熟だと、話が続かないことに気付く。相手の持っている知識や経験に対して自分があまりに勉強不足なために、自分から話も切り出せないし、話の内容がわからなくてはがゆく感じたり、自己嫌悪に陥ったり、空回りしたり。
それもひとつの勉強ではあるけれど、これはある種のインフォーマルコミュニケーションの限界だと思う。
やっぱり、知識や経験を重ねるためには、自分自身が何かをやらなきゃいけないということ。当たり前なんだけど、昔は気付かなかった。
だから、私は言いたい。いつまでも人の発表を聞いてるだけではだめ。
自分自身が発表する機会を求めていくこと。
発表をするのは、どこかの会の実行委員を安心させるためではない。
一度も発表したことない人は、発表した人とは対等に話せない。質問もできない。
何かをするとき、他の館でどうやってるのか雑誌を読んだり発表で聞いて参考にするけど、それは記事に書いたり発表する人がいたから参考にできるのである。とりたててすごいことをしてなくても、自館の状況を報告してみることから始めたらいい…と先輩に教わった。実績報告をみんなで積み重ねるのは大切なことだから意味があると。
私たちは研究者ではないけれど、サービスを良くするための実践的な調査研究の努力は時間を見つけてやっていきたい。なかなか、できてないけれど。やってみたら、できるだけ書いたり発表したりして情報を共有する。
そういうことを実践してから、もう一度インフォーマルコミュニケーションをしてみると、これはまた、全然違う素晴らしい発見がある。同じ人とでも、断然実りのある話ができる。質問したいことが変わってくる。
私は、BlogやTwitterをしない人の一部は、自分の知識や経験を積み重ねるので精いっぱいだから手を出していないんだと思う。まだその時期が来ていないと判断しているだけだと。それはそれで、良いと思う。誰もがやらなきゃいけないことはない。
出会うべき人には、自分の準備ができたら自ずと出会える気もする。
自分を育てるのは自分の判断で、自分のペースでやってこ、と思う。
2010/3/9 ちょびっと改訂 「自分自身が発表する機会を求めていくこと。」と入れました。